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【BILLABONGCOREスペシャルインタビュー】日本が世界に誇るレジェンド・プロサーファー、添田博道 -70年代半ばから80年代を振り返り、今なお燃え尽きることのないサーフィンに対する熱い情熱に迫る!-
Presented by BILLABONG Japan.
#BILLABONGCORE Ver.2.0 Vol.1 添田 博道
サーフィンの核(コア)に迫るコンテンツ
「#BILLABONGCORE」が復活!
Vol.1は、添田 博道。
1970年代半ばから’80年代にかけて
プロサーファーとしてシーンを席巻していた
添田はメディアの寵児だった。
当時の資料を見つけたことをきっかけに、
過去を振り返りつつ、
あらためてサーフィンに対する思いを問う。
添田博道(そえだ ひろみち)/1956年、神奈川県平塚市生まれ。1984年JPSAグランドチャンピオン。IPS、ASP時代のトッププロを相手に海外のコンテストで戦い、ノースショアのビッグウェイブにおいても注目を集めた。その実力とサーフィンを愛する心で結びついたコネクションを生かし、ソエダサーフボードジャパンを設立。多くのサーファーたちにハイクオリティなサーフボードを通して楽しみを提供しながら、日本のサーフシーンを45年以上守り立てている。
BILLABONG(以下、B):1981年発売の『サーフィンクラシック』がここにあります。インドネシア特集ですね。
添田 博道(以下、H):このときはね、ニアスに行ったんですよ。ディック・フールさんが撮ってくれてね。石井(秀明)さんが企画したサーフィン映画『アジアン・パラダイス』の撮影に参加したんです。まだこのころは何もなかったですね。パームツリーがきれいでしょ。
B:波もすばらしいです。
H:インジケーターっていうポイントがあるって、そこがすごく掘れてた。でも地震で地形が変わったって聞いたよ。このときのほうがスムーズだったって。
B:初めてのニアスだったんですか?
H:そう。当時は文明が入ってなくて、日本人を見たらみんな隠れちゃう。昔、日本の兵隊さんがいたからでしょうね。ローカルのおじさんで日本語をしゃべる方もいた。道路は日本軍がつくったようなこと言っていました。あと骨董品屋に日本の軍刀もあったね。見ましたよ。
B:サーファーはいましたか?
H:世界中から来てましたね。ヒッピーサーファーが多かったかな。我々はソートン・ファレンダーとジョー・エンゲル、蛸(操)さん、市川(武昌)さん、戸倉(守康)さん、そして石井(秀明)さんというメンバー。まだウォークマンの時代でしたね。日本からニアスに着くまで3~4日かかりました。
H:このときアルゼンチンのヒッピーサーファーにぶつかって、頭をバックリ切ったのを覚えてますよ。着いて数日でサーフィンできなくなったかな。
B:この雑誌が世に出たときの反響はどうでしたか?
H:いやそれは覚えてないけど、見てくださいよ。いい感じでしょ? 楽しかったね。見るもの見るものめずらしくて。
B:そのころのプロシーンはどんな感じでしたか?
H:まだ初期で、昔の先輩たちがしっかりと組織をやっていました。ドロップアウトの小川(秀之)さんや田沼(進三)さん、出川(三千男)さんや川井(幹男)さんをはじめ、多くの先輩方がね。だから今があるんだろうね
B:博道さんがプロになったのは何年ですか?
H:ここにそのときの賞状がありますけど、昭和50年っていうと、1975年だね。JSOの大会で3位になって。
B:博道さんのライディングショットが使われたポスターもあります。
H:これも家を掃除してたら出てきました。全日本のポスターだね。’79年8月24日。昔ですよ。賞金総額100万円。エントリー方法ははがきだね。
B:博道さんがプロになったのは50年近く前です。当時はどんなところがよかったですか?
H:いいところはたくさんありますよ。アナログの時代で熱気があって。きっとたいした報酬ももらわずに、組織の方たちが一生懸命プロサーフィンを成り立たせようとしていました。
B:モチベーションはなんだったんでしょうか?
H:サーフィンが好きだから、プロサーフィンを発展させるためにがんばったんでしょう。
B:そのかいあって、これまでに何度かサーフィンブームがありましたよね。
H:まずおれが18~19歳くらいのとき(1970年代半ばから後半)から流行ったね。それから糟谷(修自)くんや久我(孝男)くん、関野(聡)くん、福田(義明)くんの現役時代(1980年代半ば)。その次に脇田(貴之)とか牛越(峰統)、小川直久くんが活躍したころ(1990年代後半)にまた流行ったんじゃないのかな。
B:どんなムードでしたか?
H:そういうときはサーフウェアが流行るでしょ。それこそビラボンもみんな着てましたよね。この広告撮影のときにおれが穿いてるボードショーツだってビラボンですよ。
B:1979年発売の『ポパイ』にも博道さんが出ていました。一般誌でもサーフィンが大々的に取り上げられていたんですね。
H:サーフィンは格好いいじゃないですか。だからサーファーはいつも格好よくなきゃいけないんですよ。格好よくないと流行らないんですよ。ただ、サーファー人口が増えればいいっていうもんじゃないからね。やっぱクオリティだからね。サーファーの。
H:だからあんまり誰でもかんたんにできたほうがいいのか悪いのか…… そのへんはわからないね。でも誰でもかんたんに安くできると、サーファーが増えて海がいっぱいになりますよね。それでいいのかね? マナーを守ろうとしても、守りきれないよね。
B:サーフィンが流行れば、サーフボードやサーフウェアが売れるけれども海は混む。どう思いますか?
H:誰にでも波に乗る権利はあるし、商売する権利もあるじゃないですか。そうするとメーカーも増えていくし、いろんな部分で競争が激しくなっていくよね。
B:そんななか、サーフィンの世界で生き残るためには何が必要ですか?
H:やっぱりクオリティじゃないの。あとサーフィンを好きになること。好きじゃないと無理だよね、この仕事は。大きなお金が稼げるわけじゃないし、大変なことも多いから。
B:先ほど、昔のサーフィンの世界のよさについてお話を聞きました。今の時代のよさはなんでしょう?
H:サーフィンに限らないけれど、情報がたくさん入ってくるじゃないですか。それはいいところでもあり、悪いところでもあるかもしれない。でもおかげでいろいろと選択できるでしょ。それに、今はスマホを使ってお金をかけないで自分をプロモーションできるわけじゃない。そういう面ではいいんじゃないの。誰にでもチャンスがあるよね。
B:昔と今との大きな違いのひとつはSNSの発達ですね。
H:だから世界の垣根がなくなってきていて、日本の味が少し薄れてきているように感じる。日本にもいい波はあるし、サーフィンの歴史もある。やっぱりそういう日本のよさは残していきたいよね。
H:おれたちの時代は海外のサーファーを見て、あこがれてやってきた。日本には柔道とか相撲があるように、サーフィンはなんだかんだ言ってもハワイやオーストラリア、カリフォルニアが早かったじゃないですか。でも今は日本のサーファーやサーフボードも進化してる。
B:脇田さんを筆頭に、冬のハワイでも日本のプロサーファーが存在感を示してますよね。
H:松岡 慧斗くんなんてすごいじゃん。ダ・フイ・バックドア・シュートアウトで満点出してね。慧斗くん、ゴーイングオフでしょ。
B:この冬はエディ・アイカウ・ビッグウェイブ・インビテーショナルにも招待されました。
H:パイプラインとワイメアって言ったら、サーフィンの頂点じゃないですか。過去に脇田や久我くんが招待されて、慧斗くんが受け継いでる。だからすごいですよ。そうやって積み重ねて、日本も上がってきてるんですよ。
B:最後に、博道さんの今後の目標を教えてください。
H:ずっとサーフィンできるように健康でいる。自分のなかではやるだけやったと思う。だから今の目標はシンプルに、楽しくサーフィンを続けていくこと。それがいちばんの幸せだね。ただ、サーフィンばかりやってて、やらなきゃいけないことをかなりやってないね。そんなことをもう67年間やってるんだもん。ときどき自己嫌悪になるよ。
B:それでもやっぱり、そのまま楽しくサーフィンを続けますよね。
H:そうなの。またやっちゃう。なおらないんだよ。やばいでしょう。「やることちゃんとやる」って口で言っても、けっきょくやらないんだ。波乗りはやるよ。サーフィンは。
colorsmagで過去に掲載したBILLABONGCORE Vol.1の添田博道プロに迫るPart1&2のバックナンバーも必見!
下記よりぜひチェックしてみてください。
What is #BILLABONGCORE ?
ビラボンコアとは?
ビラボンの始まりは1973年。創始者であるゴードン・マーチャントがつくり出した良質なボードショーツは、ローカルサーフショップから瞬く間に世界中のサーファーたちに広まっていきました。「know the feeling(あのフィーリングを感じよう)」というフレーズかかげてグローバルブランドへと成長を遂げた今も、サーフィンを愛するシンプルなスピリットは変わりません。流行の移り変わりが早いこの時代だからこそ、サーフカルチャーを育みつづける海辺のボードメーカーやサーフショップの背景にある「歴史」という揺るぎない価値、核(コア)を見つめなおし、その魅力を伝えるべく生まれたコンテンツが「#BILLABONGCORE」です。サーファーたちのユニークな伝統を紡いでいくことは、世界のサーフシーンを長きにわたり支えつづけるビラボンの役割であると考えています。
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