【小波最高な7本のサーフボード達】力の無い湘南の小波でも、サーフィンが楽しくなるサーフボード特集《サーフボードレビュー》
商品名:ブルーワー BREWER NK-SAWA 5’9 大澤伸幸シグネチャーモデル ショートボード サーフボード サーフィン
ショップ:BREAKOUT
詳細:商品説明 スペック NK-SAWA 5’9"(175.26cm)×18 3/8(46.67cm)×2 1/4(5.7cm) フィン付 商品説明 2010年度JPSAグランドチャンピオン大澤伸幸プロのシグネチャーモデル 圧倒的なスピードとシャープで確実なコントロール性 だけにこだわったスペシ
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ジェリー・ロペスの恩師、ピーター・コール逝く 『サーファーに染まらないサーファー』を貫いたレジェンド
Photo by Steve Wilkings
ビッグウェーバーでジェリー・ロペスの恩師でもあった、ピーター・コール逝く
ピーター・コールは、ハワイのノースショアーでサーフィンのレジェンドとして尊敬を集めながらも、一般社会での地位も得て、典型的なサーファーにはまらないサーフィンライフを全うした。サンセットやワイメアで、リーシュを使用しないサーフスタイルを生涯にわたって貫いたことでも知られている。
1931年、カリフォルニア州ロサンジェルスのサンマリオでピーター・コールは双子として生まれた。サーフィンは14才のときに兄弟のコーニー・コールとマリブではじめた。子供のころから成績優秀だった彼は、スタンフォード大学に入学しファインアートの学位を修めた。
学生時代には、水球と水泳の中距離選手となり国際大会でも入賞している。在学中にサンタクルーズのスチーマーレーンなどでサーフィンをしてビッグウェーブの基礎を磨いた。大学を卒業後は高校の教師となったが、ホノルルへと移りプナホウスクールで教師の職を得て、生徒であったジェリー・ロペスやジェフ・ハックマンなどに数学を教えた。
(プナホウスクール:ハワイホノルルにある私立の名門校で、幼稚園から高校までの一貫教育で知られている。卒業生にはアメリカ元大統領のバラク・オバマ氏などがいる)
1971年にはハワイ州立大学で情報科学の学位を取得したのちに、プナホウスクールを退職し、海軍のシビルサービスにてリサーチアナリスト(行政職)として働いた。
長身で並外れた泳力と卓越した運動神経の持ち主だったコール氏は、50年代からすぐにビッグウェーバーとしての評判を得るが、1972年にサーフボードが顔面に当たり右目を失明するアクシデントに見舞われている。
コール氏のサーフィンライフは、安定した生活基盤を維持しながらビッグウェーブサーフィンへ情熱を注ぐという生き方だった。この充実した生活環境が、彼を長寿サーファーとした。そのことについてコール氏はこう述べている。
「サーフィンに全てを捧げた同世代の人たちは、もうラインナップへパドルアウトしてはこない。サーファーが、老後もサーフィンを続けるためには、サーフィンを単なるリクレーションとすることが重要なんだ。決してサーフィンが人生の全てであってはならない」
1958年のマカハインターナショナルで優勝し、1965年のデューク・カハナモクインビテーショナルにも招待されたピーター・コール氏だが、サーフィンの本質である「楽しさ」を損なうとしてサーフィンの試合には懐疑的な姿勢を貫いていた。
コール氏が最後にワイメアをサーフしたのは1995年、彼が65才のときだった。サンセットビーチではその後もサーフィンを続けた。しかも2000年に入ってもリーシュは使用しなかったという。「ピーターがパドルウアトすると周囲から歓声が上がるんだ」と盟友リッキー・グリッグは1998年に語っている。
ピーター・コールは2011年ハワイアン・ウォーターマン・ホールオブフェイムに選出されたが、2022年に心臓疾患により永眠 享年91才
「ワイメア用の新しいサーフボードを手に入れたんだ。長さは11’6”で、これで65才までの数年間ワイメアでサーフしたいと思っている。サンセットではもう少し長い期間をサーフしたいね。70代後半くらいまではね」
ピーター・コール サーファーズジャーナルのインタビューから
米サーファーズジャーナル誌がVlo2 No1でピーター・コールの特集を組んでいる。その記事にジェリー・ロペスがプナホウスクール時代の思い出を寄稿しているので抜粋して紹介したい。
『ミスター・コール』 文、ジェリー・ロペス
(前略)
初めての代数の授業は、コールという名の先生だった。誰かが、あの先生はサーファーだと耳打ちしてくれた。彼がワイメアのものすごく大きな波に乗った写真を、サーファー誌に見つけたのはその後だった。彼は注目に値すると私は思った。数学はわたしの大好きな教科だったし、彼は優秀な教師だったから、お互いに良い関係を築けたが、彼は生真面目なので、生徒と先生以上には発展せず、サーフィンという教科について彼は頑なに口を閉ざした。
(中略)
ある日、ミスター・コールがめずらしく授業に遅刻した。全速力で教室に飛び込んできた彼は、息も絶え絶えで髪も濡れていた。シャツのボタンは掛けちがい靴は砂だらけだった。そうこうして授業が始まったが、やがて先生のズボンが水で染み出してきた。彼はまだサーフトランクスを履いたままだったのだ。私はもうがまんできずに彼に質問した。「どうだったの?」彼は分厚いメガネの奥の目を輝かせて語りだした。「最高だったよ。アラモアナがポールセット!」クローズアウトのセットがやってきてアラワイ運河からギャベージホールまで一気にブレイクし、そこらじゅうで船が流され、サーフボードは折れたという。彼もボードを流してハワイヨットクラブまで泳がなければならなかった。それで授業に遅れたのだという。もちろん授業の終わりのベルが鳴るまで、私たちは彼の話を聞いてうっとりとしたのは、言うまでもない。
(後略)
The Surfers Journal Vlo2 No1. Peter Cole The Enduring Legend の Mr.Cole by Gerry Lopez より抜粋
(李リョウ)
引用元
ジェリー・ロペスの恩師、ピーター・コール逝く 『サーファーに染まらないサーファー』を貫いたレジェンド
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『ガン』と呼ばれるサーフボードとその背景 – THE SURF NEWS「サーフニュース」(GoogleNewsより)
『ガン』と呼ばれるサーフボードとその背景 THE SURF NEWS「サーフニュース」