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ロングボード 8’3関連NEWS
「安室奈美恵さんがいたから、今の自分がある」香里奈 想いを語る – livedoor(GoogleNewsより)
「安室奈美恵さんがいたから、今の自分がある」香里奈 想いを語る livedoor
巨大なパイプラインに挑んだ佐藤魁SPインタビュー。日本の佐藤魁がパイプ・マスターズに選ばれた本当の理由。
世界最高峰のチューブを形成するハワイ・オアフ島ノースショアのパイプライン。そこに命のリスクすら背負ってまでもサーフィンするエキスパートたちが世界から毎年、集まる。その中で、「誰が一番か」を決める戦いが「パイプマスターズ」。
1971年に始まったこの歴史ある大会は、今やサーフィンをしない人々にも広く知られている。大会は途中、世界ツアーの一戦に組み込まれたこともあったが、近年は再び、パイプラインサーフィンの「独自性」を重視する形で「パイプの名手」を集めた「インビテーションオンリー」の形式に戻っている。
その由緒ある戦いで、今年、日本から唯一の出場となったのは、パイプラインの波とは程遠い茅ヶ崎の海で育った佐藤魁(さとう・がい)だった。
インタビュー:Emiko Cohen 写真:@photogordinho @julia.okudaa
◆舞い込んできたパイプ・マスターズのインビテーション
本当に出るんだ、やるしかないんだと、自分に言い聞かせていきました。
「予想なんか全くしていませんでした。今年は結婚して、息子も8ヶ月になり、フィリピン人と日本人のハーフの妻の故郷が、冬のこの時期に波が良いと聞いていたので、家族でフィリピンに行こうと計画していました。ハワイは、遅れて行けたらいいかな、くらいに思っていたんです。
ところが、ボルコムのマネージメントをしているマット・ベムローズさんから突然「ガイ、インビテーションに名前が載っているぞ」というメールが届いたんです。それが大会開催の3週間前のことでした。」
正式にヴァンズから招待メールが届くのを待ち、慌てて航空券を取ったガイ。その時には、地元の選手たちはすでにアーリーハワイで練習を重ねており、彼は一足遅れてのスタートとなった。場所が場所だけに、体力だけでなく、試合に臨むメンタルを整えることが最初にやらなければならないことだった。
「何せ大会が大会だけに、「なぜ自分が?」という思いを乗り越えて、ジェイミー(ジェイミー・オブライエン)やローカルのエキスパートたちと並んであの大舞台に立たなければならなかったんです。自分がその場所に立つ、沖で待つということが、どれだけのプレッシャーになるのか、何度も沖で感じていました。
もちろん、ジェイミーが乗るような波には手を出せないな、という思いはありましたけど、彼も他の選手たちも、それぞれ歴史のあるマスターズに出場しているわけで、みんなそれぞれプレッシャーを乗り越えて舞台に立ってきている。
だから、僕も今、同じ舞台に立とうとしている以上、恥じないようにやるしかないと。グルグルといろんな思いが巡る中で、「本当に出るんだ、やるしかないんだ」と、少しずつ自分に言い聞かせていきました。」
◆大きな舞台での大きな学び
実際の試合では、WCTイベントから脱却し、新たにオリジナルなパイプマスターズとしてのルールが整えられた。従来の勝ち抜き戦とは違って、選手たちが平等に力を競えるようにフォーマットが変更された。
選手は3回サーフィンして、その中の高得点3本が、それぞれの選手の得点となり、競い合う。男性は40名、女性は20名の参加者がいて、最終的に上位4名が決勝進出を果たし、再度戦って優勝者がマスターズとなるというルールだった。
3ラウンドは、時間帯も考慮され、朝、昼、夕方とローテーションで進行。実際には、大会期間中に大会には大きすぎるほどの大型スウェルが予報されていたので、最初のラウンドと2回目のラウンドは、(海が荒れ狂う前に)早く進めようと、波のサイズがパイプとしては物足りない4フィートの小波で行われた。
「最初の1ラウンド目と2ラウンド目を終えたとき、全く波に乗れなくて、スコアもまったく出せなかったんです。「やっぱり、俺、何にもできないんじゃん」その思いが頭の中を巡っていました。
周囲の雰囲気とか、他の選手たちがどんどん波に乗っているのを見て、押されている気持ちになってしまって、、、それが海にも反映されてました。でも、ふと気づいたんです。「考えすぎてるな」って。そして最後の3ラウンド目をどう彩るかは、自分自身に掛かっているんだと。」
気持ちを切り替えたガイが迎えたラウンド3。最初の2つのラウンドとは一転して、セカンドリーフや時にはサードリーフが割れていた。朝からまるで3階建てのビルが崩れ落ちるかのような巨大な波だ。
8時から始まったメンズヒートでは、テイクオフすら大変な厳しい状況だった。しかし、ガイのヒートの時間帯になると、荒れ狂っていた波が一瞬静まり、整ったチューブが次々と現れ始めた。
「前の晩から同じヒートの他の3人とエネルギーを高め合い、沖に出ていくイメージをしていました。実際のヒートでは、完全に自分を消す。サレンダーして全てを波に身をゆだねる形で望みました。そうしたら本当に楽しめたんです!
言葉で言うのは難しいけど、海に対する感謝の気持ち、、。海だけじゃなくて、これまでサポートしてくれたスポンサーや家族に感謝し、今自分が置かれている状況そのものに感謝するという気持ちが湧いてきて、、そしたらふっと横から吹く風とか包まれてる状況の全部が感じられて、、まさにその瞬間ですね、待っていた波がやってきたのは。」
ヒート内でのガイはまさに小さな巨人。誰よりも波をコンスタントにキャッチしていた。特に長いチューブを抜けたライディングには、30点満点中27.5点の高得点がついた。会場には歓声が上がり、その瞬間、佐藤ガイが世界のトップ選手たちと肩を並べる「パイプラインの名手」であることを証明することになったのだ。
「実はあの一本より一本前の方がスティープにテイクオフして、深さはなかったけど、スピッツが出てきて、自分のチューニングがハマった感覚でした。元々僕、テイクオフが好きで、あれはまさに瞬間がビタッとハマった感じでした。
それに対して、高得点がついたあの一本は、テイクオフが少しゆっくりで、後からスピッツが出てきた感じだったけど、バレルの中に隠れていた部分が長かったんでジャッジにウケたんだろうなと思います。
バックドアシュートアウトでも同じようなのは決めていましたし。でも、うん、その前の一本の方が、自分にとっては今までの壁を越えられた瞬間だったというか…また一つ、海が好きになりました。」
◆エネルギーの高め合い
最終ラウンドのパイプラインらしい究極の波の中が次々と押し寄せるようになると、感動なシーンが感動のシーンを呼ぶという形となった。ガイのディープチューブの一本が会場を沸かせた直後、コア・スミスがテイクオフ。その一本はガイの一本以上にさらにスティープ。完璧なライディングで30点満点中30点がつけられた。
通常のコンテストでは、同じヒートのライバルが自分以上のパフォーマンスを見せるのはあまり良い気分ではないものだ。しかし、コアのライディングを岸側から見る形になったガイは、自分が決めた瞬間以上に両腕を上げて歓喜をあらわにした。
「あれを見て喜ばない人はいないでしょ(笑)。あそこまでチューニングが合っちゃうのかと、本当に驚きましたね。ちなみに、コアにはいつも海への取り組み方とか、いろいろ刺激を受けています。彼の顔を見たり、海に対する姿勢を見たり、SNSでの発信を見ていると、ちょっと日本人的な感覚を持っているんじゃないかなって思うことがあります。
波を参拝すると気持ちで、これからは波に乗ろうと思うようになりました。
例えば、祈りのようなものだったり、何が真実なのかということだったり。ヨガで言うところの『グル』とか、良い先生、メンターがいるのかなって感じさせられるような感じで。例えば、騒がしい世の中で自分ひとりの静かな空間を持っているようなことが書いてあったりする。それが、僕の心にすごく響いてくるんです。
実はそれを伝えたくて、英語が完璧でない自分だけど、沖のラインナップでコアに刺激をもらってるという話したんです。そしたら彼が、『自分は海をテンプルのように思っている』って言ってきて、僕もそれを聞いて、波を参拝すると気持ちでこれからは波に乗ろうと思うようになりました。普段から整えておくと、その気持ちが海にも反映されるんだなって思います。」
◆経験の積み重ね
大怪我のリスクを背負ってパイプラインでサーフィンするには、心も体も洗練されてなければならない。普通にすごいことをする連中に囲まれると、自然とそのレベルに引き上げられていくのかもしれない。
彼の力は、常に周囲と自分を対比させ、その中で自分をリフレクトし、どうすればアチーブできるかを真剣に考えるところにある。それを養うことができたのは、周囲に作ってもらえた環境からだと本人は言う。
「パイプは小さい頃から毎年波のシーズンには通わせてもらっていたんです。当時スポンサーだったスマックの植田さん(植田昌宏氏)が「サーファーならハワイやで!」と言ってたのを母親が信じて、毎年ハワイに行かせてもらってたんです。そのうちカメラマンのキンちゃん(木本直哉氏)に出会って、バーベキューとかにも呼んでもらって、ノースがいかに怖いところかっていうのを知らされてました(笑)」
子供時代のガイが「他の日本人とは違う」方向に歩み出したのは、中学校一年の時。スポンサーのボルコムの宿舎に泊まることになった。まさにパイプの真前にあるサーファーの間では名高い宿「VOLCOMハウス」だ。
そこで使われている言葉はもちろん日本語ではない。しかも自炊しなければならない。バララムやノアなどの「バレルの名手」が揃うハウスは、一見サーファーとしては憧れのような共同生活だが、(パーティーハウスとしても名高いだけあり)目的のサーフィンを全うして進めて行くには、想像を絶するほど大変なこともあったはずだ。
「いや、根っからマイペースなんですよね。大変な事もあったのかなぁ。あったかもしれないけど、ハワイ宿泊の間に出会った人たち、そこで聞いた話なんかは、地元にいるだけだったら、絶対に経験できないことだらけで。
毎年ベストを尽くして帰るんですが、帰った後の日本でその期間のことを振り返ってみると、「あの経験がまたしたい、あの連中にまた会いたい」という気持ちが大変だったという思いよりも勝って、シーズンになると戻って行く。そんなことを毎年繰り返していました。
試練を与えられていると感じたことは、例えば沖でみんなが集まって話をしたりしているのに、僕だけがポツンと入れないでいることがあったりしたんです。中学時代とか高校時代ですね、「これじゃいけない、なんとかしないと」と思ったりしたことを思い出します。周りがすごい人たちばかりだから、自分も近づく必要性があって、目標が次から次へと出てくる感じです。本当に経験させてもらってます。」
さらりと話す彼の前で、誰も入れないほどの大きさまで成長したパイプの波が飛沫をあげて割れている。時折バギーで来るライフガードは観光客や初心者サーファーが間違って海に入らないようにと監視している。そこが少年時代からの、期間限定の唯一の庭。そして彼の大学のキャンパスだ。時には怪我だけでなく死者を出す場所でもある。
◆ヨガとの出会い
「当然、車がなかったから入れる海は目の前のパイプラインだけでした。どこか行くとしたら誰かに乗っけてってもらって食材買いにフードランドに行くくらいでした(笑)。
でも怪我はしましたよ。小さい時、バレルをやってた時にワイプアウトして、左腰を痛めて、それからしばらく神経が調子悪くて、、サーファーにとって腰は重要ですからね。その後、パフォーマンスが出来づらくなって、モチベーションが上がりづらくなったんです。
今ではヨガは、サーフィンと同じく僕の日常に欠かせないことです。
その時にヨガに出会った。ヨガでは、痛いところに呼吸を通すから、自分である程度痛みのメンテナンスが出来るようになりました。日本ではその系の本を読んだり、ちょっとは誰かに教えてもらったりしましたが、ほぼ独自のやり方で続けてきました。
今ではヨガは、サーフィンと同じく僕の日常に欠かせないことです。瞑想を通して物事を考えてみると、自分を俯瞰してみれるから、心配事も薄れるんです。何が引っかかっているのかも明確になるから、次に進んでいくところも見えてくる。
呼吸ってすごいです。大きい波をやる人たちには必須だけど、日常生活をこなす上でも、雑念がとれ集中力が高まるし。ヨガは、自分の体の位置をどこに向けるかで、体に電気が通せるというか、大地や空からのエネルギーを取り込むことも出来る。サーフィンと一緒でヨガは奥深いです。僕にとって、サーフィンとヨガは良い対になっている。どちらも深くて、いつまでも続く勉強です。」
ヨガやサーフィンは自分と向き合う時間でもある。どちらも深まれ深まるほど、さまざまな見たくない現実まで見えてくるようになる。透き通るような気持ち。その中で見つかる濁る思い。見えてくれば来るほど、ピンポイントで引っかかる点も明確になってくるのだろう。
「日本にいると、周囲から勝手に付けられたレッテルが思ってる以上に強くって、気づけばその枠にはめられてしまうような気になり、辛くなることがあります。特に、ハワイのノースショアでの他人に振りまわされず個性豊かに生きている人たちとのギャップを感じるからなのかもしれませんね。」
積み上げた経験を活かして、周りの人たちを引き上げる手助けがしたい。
そんな一見繊細であるような心を持つガイだが、結婚し父親になった今、不安のエネルギーを「人を助けていく」ポジティブなエネルギーに変換し、経験を生かして、アウトプットする方向へと力を注ぎ始めた。一人ではなく家族と共に。
◆次世代に残すこと
「社会が悪いのか、わからないんですが、先が見えなく希望を失っている人たちが日本にはたくさんいると思うんです。僕自身、小さい頃は何をやっても不器用で、人とうまく交流できないタイプでした。側から見たら相当な劣等生だったと思います。
でも、そんな僕が、サーフィンを通じて多くの影響を受けたおかげで、今こうして大きな舞台に立てるようになっている。誰でも可能性があるんです。だから、その自分が歩んできたなかで積み上げた経験を活かして、何か周りの人たちを引き上げる手助けができたらいいなと思っています。それが家族と一緒にできることであればなおさら嬉しい。
実は僕、サーフィン以外にもたくさん好きなことがあって、例えば農業とか。農業と言うと大げさかもしれないけど、循環を活かして植物を育ててみたいんです。ちょうど去年から奥さんとはチャイ屋さんを始めました。地元の茅ヶ崎は個性的なお店が多いので、すんなりと始められました。
そこからヨガにも繋がり農業に繋がっていくのかどうかはわからないけれど、自分の得意なことを活かして、多くの人に良いエネルギーを送り続けたいと思っています。ちなみに、チャイを出してお客さんが嬉しそうに飲んでくれた時の満足感と、パイプラインの沖でバレルを決めることって僕にとってはほぼ同じなんです。」
かつてオリンピックにも出場したアメリカの中距離者、ジム・ライトルは「スポーツマンである前に人間でなければならない」言った。ガイの最後の一言は、まさにそれに匹敵する。その言葉を聞いた時、私は「なぜ多くのサーファーの中から彼が選ばれたのか、という疑問が、「だからこの人がマスターズに選ばれたんだ」と考えが変わった。
〜私自身もこれからは日常の中からも波乗りに匹敵する充足感を探していこうと思う〜
さとうがい●1996年、神奈川県生まれ。日本プロサーフィン連盟(JPSA)に所属するプロサーファー。2017年2月から8月までテレビ番組「テラスハウス」に出演し人気が急上昇。2017年4月にバリ島で開催されたJPSAジャパンプロサーフィンツアーで初優勝を果たす。2018年には映画「ハナレイ・ベイ」に出演。2019年のALL JAPAN PRO 新島でJPSA2度目の優勝し、国内外の試合に参戦しながらサーフィンの腕に磨きをかける。2024年に憧れの舞台であるパイプマスターズ出場の切符を手に入れ、世界の檜舞台で注目を集めた。
佐藤魁インスタグラム:https://www.instagram.com/guy.kid__/