商品名:2024 ダカイン KAIMANA TEAM LEASH 6FT X 1/4IN リーシュコード SHA 【2024年春夏モデル】 全1色 F DAKINE
ショップ:BILLABONG ONLINE STORE
詳細:頭半分サイズ前後までにおすすめな1.83m x 6.5mmのDAKINEロゴ入りリーシュコード。水中での抵抗を低減するスピードポケット/デュラコードや人間工学に基づき設計されたアンクルカフを採用。さらに、海での使用に特化した錆びにくいステンレス製スゥイベル、合理的な設計で作成されたシンラインレールセ
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「コロヘ・アンディーノのホームタウン、サンクレメンテ(後編)」 – F+
(コロヘ・アンディーノ、2012年ロウワーでのライディング) Photo by snowy
F+(エフプラス)
1994年生まれのコロヘは、全盛期のサンクレメンテサーフコミュニティのど真ん中にノーチョイスで巻き込まれることになる。なにしろ父親が大ボスのディノ・アンディーノだ。幼少期からティーンエイジャーをサーフバブル景気に沸く中心地で送り、見てきたものはその華やかさと成功、いくつものアメリカンドリームの成就だった。 新しいブランドが生まれてはそれぞれに地位を確立していき、やがて世界に打って出る。世界中のサーフマーケットにかかわるバイヤーたちは、常にASR、サーフトレードショーに出展する新ブランドに目を光らせていた、そんな時代だ。
(2010年のトレードショーのロストブース) Photo by snowy
スーパーヒーロー、ケリー・スレーターがサーフシーンのすべてを変えつつあった。まさにそんなサーフィンの黄金時代を見ながらコロヘは育った。 そして2012年には自身もCT選手として活躍を始める。しかし、皮肉なことにその頃からサーフシーンは勢いを失っていくのだ。もちろんそれ以前からバブル崩壊の兆しはあった。
21世紀に入ってから、徐々に各サーフブランドの勢いがなくなり、それは大手サーフブランドですら例外ではなく、会社そのものが頻繁に売りに出されたし、新しい経営体制になったり、投資家グループの管理下に置かれたり、どんどん創始者であるサーファーの手からビジネスが離れていった。ビラボン、クイックシルバー、ボルコム、ハーレーといったサーファーでなくても誰もが知っているブランドであるからこそ買い手がつき、経営母体が変わっていった。最後まで創業者たちの手にあった老舗リップカールも、近年別の会社に買われていった。
未来永劫に存在すると誰もが信じて疑わなかったアメリカの2大サーフィン誌、SURFERとSURFINGも例外ではなかった。最大のライバル関係にあったこの2誌は、結局同じ経営母体となり、最終的にSURFERだけがオンラインで残った。多くのサーフカメラマンたちが失業した。この大手メディアの消滅は、アメリカのサーフィン業界に大きなショックをもたらした。
(2014年のブラジルにて、ケリーとコロヘ) PHOTO: © Steve Sherman
当時のサーファーたちはグロメッツの頃、誰もが部屋にこれらの雑誌の付録のポスターとか切り抜きを貼って、ヒーローのスタイルをまねたものだ。少なくとも今30代より上の世代のサーファーたちには必ずお気に入りのスターがいて、それがトム・カレンであったり、ケリー・スレーターであったり、アンディ・アイアンズであったりで、そのヒーローを追うのはSNSではなく雑誌だったし、雑誌はオフィシャルながら本人発信ではないところに、本人にとって都合のいい情報だけではなく、さまざまな方向への情報の広がりや深みがあった。
サンクレメンテあたりの若手たちは何とかしてビーチのカメラマンに写真を撮ってもらい、雑誌に出してもらおうと必死になった。雑誌に写真が載ることがサーフスターへの登竜門だったからだ。 SURFING誌の編集部はサンクレメンテの山側にあって、取引のあった私はよくそこを訪れたものだ。しかし、そこも消えてゆく。今でも、サーフィン雑誌がなくなる、そんな時代が来るとは夢にも思わなかったと、話のタネになるほどショッキングな出来事だった。
そしてそれはアメリカだけの現象ではなかった。 日本やオーストラリア、ヨーロッパも同様、世界中でサーフマーケットはどんどん縮小していった。それはひとつのブームの終焉というより、ひとつのカルチャーの消滅といったほうが正しいような気がする。バブルがはじけた、というより、そのカルチャーが時代に合わなくなった、という感じだ。サーフィンとデジタルは相いれない。割り切れないアナログな部分がサーフィンの魅力の根幹だ。サーフィンは1か0かではない。 試合でポイントを競うのではなく、アナログな楽しみを優先するサーファーが増えた。それは原点回帰ともいえる流れではあるのだが、原点に巨大経済マーケットは存在しないのが常だ。
(コロヘ・アンディーノ、2012年ロウワーでのライディング) Photo by snowy
F+(エフプラス)
1994年生まれのコロヘは、全盛期のサンクレメンテサーフコミュニティのど真ん中にノーチョイスで巻き込まれることになる。なにしろ父親が大ボスのディノ・アンディーノだ。幼少期からティーンエイジャーをサーフバブル景気に沸く中心地で送り、見てきたものはその華やかさと成功、いくつものアメリカンドリームの成就だった。 新しいブランドが生まれてはそれぞれに地位を確立していき、やがて世界に打って出る。世界中のサーフマーケットにかかわるバイヤーたちは、常にASR、サーフトレードショーに出展する新ブランドに目を光らせていた、そんな時代だ。
(2010年のトレードショーのロストブース) Photo by snowy
スーパーヒーロー、ケリー・スレーターがサーフシーンのすべてを変えつつあった。まさにそんなサーフィンの黄金時代を見ながらコロヘは育った。 そして2012年には自身もCT選手として活躍を始める。しかし、皮肉なことにその頃からサーフシーンは勢いを失っていくのだ。もちろんそれ以前からバブル崩壊の兆しはあった。
21世紀に入ってから、徐々に各サーフブランドの勢いがなくなり、それは大手サーフブランドですら例外ではなく、会社そのものが頻繁に売りに出されたし、新しい経営体制になったり、投資家グループの管理下に置かれたり、どんどん創始者であるサーファーの手からビジネスが離れていった。ビラボン、クイックシルバー、ボルコム、ハーレーといったサーファーでなくても誰もが知っているブランドであるからこそ買い手がつき、経営母体が変わっていった。最後まで創業者たちの手にあった老舗リップカールも、近年別の会社に買われていった。
未来永劫に存在すると誰もが信じて疑わなかったアメリカの2大サーフィン誌、SURFERとSURFINGも例外ではなかった。最大のライバル関係にあったこの2誌は、結局同じ経営母体となり、最終的にSURFERだけがオンラインで残った。多くのサーフカメラマンたちが失業した。この大手メディアの消滅は、アメリカのサーフィン業界に大きなショックをもたらした。
(2014年のブラジルにて、ケリーとコロヘ) PHOTO: © Steve Sherman
当時のサーファーたちはグロメッツの頃、誰もが部屋にこれらの雑誌の付録のポスターとか切り抜きを貼って、ヒーローのスタイルをまねたものだ。少なくとも今30代より上の世代のサーファーたちには必ずお気に入りのスターがいて、それがトム・カレンであったり、ケリー・スレーターであったり、アンディ・アイアンズであったりで、そのヒーローを追うのはSNSではなく雑誌だったし、雑誌はオフィシャルながら本人発信ではないところに、本人にとって都合のいい情報だけではなく、さまざまな方向への情報の広がりや深みがあった。
サンクレメンテあたりの若手たちは何とかしてビーチのカメラマンに写真を撮ってもらい、雑誌に出してもらおうと必死になった。雑誌に写真が載ることがサーフスターへの登竜門だったからだ。 SURFING誌の編集部はサンクレメンテの山側にあって、取引のあった私はよくそこを訪れたものだ。しかし、そこも消えてゆく。今でも、サーフィン雑誌がなくなる、そんな時代が来るとは夢にも思わなかったと、話のタネになるほどショッキングな出来事だった。
そしてそれはアメリカだけの現象ではなかった。 日本やオーストラリア、ヨーロッパも同様、世界中でサーフマーケットはどんどん縮小していった。それはひとつのブームの終焉というより、ひとつのカルチャーの消滅といったほうが正しいような気がする。バブルがはじけた、というより、そのカルチャーが時代に合わなくなった、という感じだ。サーフィンとデジタルは相いれない。割り切れないアナログな部分がサーフィンの魅力の根幹だ。サーフィンは1か0かではない。 試合でポイントを競うのではなく、アナログな楽しみを優先するサーファーが増えた。それは原点回帰ともいえる流れではあるのだが、原点に巨大経済マーケットは存在しないのが常だ。
(2024年のUS Openでは5位に入り、CT返り咲きを目指すコロヘ) PHOTO: © WSL/Pat Nolan
古き良き時代、あの素晴らしいサーフィンブーム、コロヘはそれを知っているからこそ、そしてそれが衰退していくのを間近に見ていたからこそ、このままじゃダメなんだ、という強い気持ちを持ったのだと思う。
Make the surf industry great again
トランプ陣営の選挙スローガン、“Make america great again”で支持者たちがUSAを連呼するのなら、ここは、SURFINGの連呼といくべきか。
(F+編集長つのだゆき )
引用元
「コロヘ・アンディーノのホームタウン、サンクレメンテ(後編)」 – F+